腹八分寄り道人生

なんてことない日常つらつら

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

友だちを殺めたのは、11歳の少女。被害者の父親は、新聞社の支局長。僕は、駆け出し記者だった―。世間を震撼させた「佐世保小6同級生殺害事件」から10年。―新聞には書けなかった実話。

テレビで伝えられていたことの裏側では こんなことが起こっていたのか。 冷静に会見していた被害者の父親。その裏側で、心が壊れ、慟哭している描写には言葉を失う。
なぜ? どうして?
動機が明らかになっても
わからない。理解できない。

わからないままで終わることはできないので、精神鑑定で広汎性発達障害の特徴にぴったり重なった少女の特性を下敷きにして、事件を集約した。
正直、大人たちがこうだったに違いないと形作ったものより、被害者のお兄ちゃんが言ってたことの方が近いんじゃないかと思った。

だれがやったか聞いたときに「ああ、けんかしてたもんな」ってすぐに思いました。「そこまでいっちゃったか」って感じです。知ってたのに止められなかったのは、やっぱり悔しい。何も知らなかったら、また違ったんでしょうけれど、知っている分、「そこまでいくような内容だったかな」とも思います。

第二部

  • 御手洗さん/被害者の父として
  • 加害者の父として
  • 被害者の兄として

タイトルの「謝るなら、いつでもおいで」は お兄ちゃんの言葉。
この言葉の意味は、決して許しているわけではない。それでも一回の謝罪があれば、あとは、加害少女に普段の生活を大切にしていきてほしいと。ずーっと謝られても、こっちが困るとまで...どれだけ老成してしまったんだ 彼は。




子どもたちの この年頃特有の危うさは、かつて少年少女だったわたしたち大人も知っている。踏みとどまることが出来なかった場合、「親の育て方」が一番の原因に挙げられるけど一概には言えないからなぁ。 環境だったり、組み合わせだったり、タイミングだったり...難しい。本当に難しい。


今、まさにテレビで連日取り上げられてるニュースも未成年の犯罪。少年法のあり方を巡る議論が繰り返される。
未成年者の人格の可塑性(未熟であるがゆえに柔軟である)を期待する法律。
もし、被害者遺族になってしまったら。
もし、加害者遺族になってしまったら。
冷静に慎重に、国民全員が考えなければならない。


個人的には、あまりにも凶悪性残虐性の高い事件の場合は、少年法の例外にすべきだと思う。可塑性ないでしょ、そういう輩は。